『ユリイカ/ EUREKA』について、私的な備忘録を兼ねて
インタビュー
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『月の砂漠』プレスカンファレンス

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カンヌ映画祭公式サイトのTV FESTIVALにて中継されていた『月の砂漠』についてのプレスカンファレンスの模様を書き起こしテキスト化したものです。内容に関しては正確さを欠く場合もあります点をご留意下さい。また敬称は略しております。


壇上向かって左から司会者、通訳、とよた真帆さん、青山監督、三上博史さん、仙頭プロデューサーという並び。

司会者:まず最初に私から質問を、『ユリイカ』は私自身も大好きな作品なのですが、モノクロの映画であった『ユリイカ』に対し今回の『月の砂漠』カラーで撮られていますよね。その理由をお聞かせいただけますか。

青山:最大の理由は、続けて二度同じことをしたくなかった、というそれだけですね。『ユリイカ』の物語はわずかに6〜7年の差ではありますが若干の過去の物語でした。それが『ユリイカ』をモノクロで撮影したひとつの理由でした。それに対し今回は、非常にアクチュアルな問題を描こうとし、現在もしくは、ほんの少し先のたとえば来年ぐらいの未来という風に考えながら撮影してゆきました。いま僕らの目に見えているカラーの世界、それがこの映画の持つべき色彩だったというわけです。

司会:モノクロですとエレガントであると同時に何かしらの距離感を感じますよね。今回の『月の砂漠』はカラーで撮られているのですが、やはり普通のカラーではなくて色彩に関して非常にデリケートな選択をなされていますよね。その点についてお聞かせ願えますか。

青山:とある特殊なフィルターをキャメラに装着してみたんです。それを付けると人間の皮膚や特に赤の色が、非常に鮮明にかつ生々しく即物的に出てきます。今おっしゃったようにモノクロに距離というものを感じるとするならば、今回の『月の砂漠』では登場人物の存在が距離感ゼロで観る側に迫って来ると同時に、彼らの存在が可愛らしいもの、はっきりとした言葉で言えばイノセントなものとして写るようにしたかったのです。この色彩がイノセンスを感じさせてくれるんじゃないかと考え、このフィルターを採用しました。

司会:距離感ゼロとおっしゃいましたが、そうであればこの映画は今の日本の社会における経済危機などによって伝統的な価値感が揺るがされ日本社会の基盤となってきた伝統的な家族の在り方(私などが様々な過去の日本映画などで見て知るような)に不安感が生じてきた状態を、距離感ゼロで私たちに直接伝えてくるのですね。

青山:ええ、そのとおりです。と同時に、そうであるにもかかわらず彼らはイノセントであるというのが、僕がこの映画で最終的に目指したところです。

プレス:日本はかつて高度経済成長期にあり年間14%もの経済成長を続けていたが、今ではアジアや世界の”資本主義の病人”として紹介されるまでになってしまった。この日本の一大転換期を現在の日本映画は正く描いているとお考えですか?さらに聞きますと『月の砂漠』は『ユリイカ』より政治的(ポリティカル)な次元を持つ映画ですか?

青山:(『月の砂漠』は)ただアクチュアルである、ということだけだと思いますね。ポリティカルといういう風には、さすがに言いたくない気がします。今の現状をそのまま描こうとした、そのことはアクチュアルとは言えるけれども、ポリティカルであるというふうには僕はあまり認識していないですね。仙頭さんはいかがですか?(笑)

仙頭:(笑)日本は今ITブームなんですね。ITベンチャー企業の若い創業者達が株式を公開して大きなビジネスを始めようという気運が非常に高まっているけれども、その行く末にあるものって一体なんだろうと?技術開発の果てに再び高度経済成長を迎えたとして一体、社会はどこへ向かっていくのだろう、個人や家族はその中でどうなってしまうのだろうということがこの映画の一番の主眼です。

司会:お話を聞いていると日本は社会の展望とかそのインパクトが他の国と比べて非常にラディカルだと思います。

青山:例えばこの映画に出てくる家族であれば、そのラディカルな嵐の中を小舟に乗ってさまよっている三人の人間と捉えてもらうと良いと思います。

プレス:とよた真帆さんに質問があります。このヒロインのキャラクターをその変化を含めてどういう風に解釈して作って行かれたのですか?でその際、監督からはどういう提案や演出を受けたのでしょうか?

とよた:まず、演じるに当たって何ら不自由を感じなかった点は、監督の描いたこの家族のような在り方が今の社会に於いて決して特別な家族ではなくて、誰もがこういう印象を持って生活している。一部の家族はこういうものが明らかになってまた別の一部は仮面をかぶったまま家族を続けている。ただ本当に敏感な人たちは、こういう危うい社会を感じていると思うので、私も今の社会の危うさ・ナイーブさというか、何かどこか病的な部分を日々感じていれば、アキラを通じてそれを表現するのは楽なことでした。演じてゆく上で監督と直接何かについて話し合ったことはないのですが、現場ごとに監督の伝えたいことをキャッチしようとはしていました。あと青山監督の場合、脚本の段階で読めば解るというぐらいにひとつひとつの台詞が完璧に書かれていると私は思うので、何ら不自由することはありませんでした。

プレス:監督に質問です。日本の現在ということに限らず世界的な現在としてみても今の世の中の在り方を最も正しく全体的に把握しているのは日本映画だと思います。現在の社会の空気を捉えることが上手な監督が日本には特に多いように思います。今現在の日本映画にはヌーヴェルヴァーグがあるとお考えですか?また黒沢清監督や橋口亮輔監督などとそうしたテーマについていろいろと話し合いをなさりますか?

青山:正しさとはなんでしょうね。非常に難しいことです。感じていることを素直に出しているということが正しさに繋がるとしたら日本人は他の国の人間よりも僕が思うとおりイノセントなのかなという気がしますが。ヌーヴェルヴァーグがあるかどうかは、5年後10年後の世界の皆様が決めることであって、僕らは各人バラバラに映画を作っているだけなので、今現在どうであるかそれをはっきりと言える立場にはないと思います。もちろん友人として親交のある監督もいますしアクチュアルな問題について語り合うこともしばしばありますが、作るときはやはりバラバラなわけです。そうしたことが何か力になっているのかどうかということも、やはり5年後10年後の世界の皆様が判断を下されることだろうと思います。でなおかつ僕ら監督という存在はバラバラなのですが、それを束ねる存在としてのプロデューサーのご意見も伺った方がいいと思います。(笑)

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