司会:そうですね。プロデューサーの所には多くの脚本が持ち込まれるでしょうし、様々な監督の作品に触れることが多いでしょうから。それらの傾向について仙頭プロデューサーはどう感じておられますか?
仙頭:はい。一年にだいたい10本ぐらいの映画を作っておりますが、僕のやり方というのはシナリオがあってじゃあこれをやろうというのではなくて、個々の監督の個性を最大限にのばすのはどういう方法なのだろうと考えたうえで映画を作るというやり方なんですね。その結果として青山監督の場合はこういう映画になる。といったことの集合体なので何とも言えないですね。ただ10年前と大きく変わったなと思うのは、それまでは私個人の物語を映画にしようとしてきたのが、ここ最近は個人と社会の関係性を描こうという人たちが増えつつある。その中心人物が青山くんであることは間違いないのですが、急速にそういう形に変わってきたなというのは感じますね。それと今日本では世代がひとまわり若くなってきています。いまでも日本でプロデューサーというと僕がまだ一番年齢が低いぐらいでして、ほとんどが普通の会社ならもうリタイヤしているかなと云うくらいの年齢の方が中心でやられていたので、そのあたりが大きいのかもしれません。
プレス:この10年の変化で個人と社会の関係性を描く監督が増えてきたとおっしゃいましたが、それは仙頭さんがそういう監督をお選びになったからではないでしょうか?
仙頭:そうなんですけどね。はい。(笑)
プレス:音楽についてプレスキットの方にも触れてありますが、この映画では年代もジャンルも非常にバラバラな楽曲が使われています。これはどういう基準でお選びになられたのですか?それと様々な楽曲をこの映画に入れたのは今現在の日本社会では様々な音楽が聞こえてくるという理由ですか?
青山:最初の「キャロライン・ノー(The Beach Boys "Caroline,No"
1966)」とラストの「キャプテン・セイント・ルシファー(Laura Nyro "Captain Saint Lucifer"
1969)」については完全に歌詞で選びました。この二曲が「キャロライン・ノー」は永井の「キャプテン・セイント・ルシファー」はアキラの、それぞれの感情を代弁している歌詞で、なおかつ単に僕が非常に好きな楽曲と云う理由で選択がなされています。僕の考えを言えば、僕らの世代というのはあらゆる時代のあらゆる国の映画を観て育った世代です。音楽にしても同様であらゆる時代のあらゆる国籍の音楽を聴いて育ているんです。ですからたとえ「キャロライン・ノー」が66年の楽曲でも「キャプテン・セイント・ルシファー」が69年の楽曲でも、今の自分の感情を代弁していると思えれば、なんの違和感もなく使うことが出来る世代なんだと思います。
プレス:監督に質問です。映画のオープニングで湾岸戦争やサリン事件など様々なニュースのスチールが流れますが、その後は映画の中でそれらの事件に関し一切触れられることがありません。そこに期待を持って観ていると肩すかしを食らったように感じるとも思うのですが、どうしてこういうオープニングを選んだのですか?
青山:そこで流れている楽曲がまさに「キャロライン・ノー」なのですが、この曲の歌詞とは去ってしまった恋人の変わってしまった姿を見てしまうことを悲しむという歌なんです。そこにあの映像が流れている。それが答えです。
プレス:今回この映画祭で是枝監督、今村監督、そして青山監督による三作の日本映画がコンペに参加しています、これは世界が日本のコンテンポラリーな映画に対して注目している度合いがますます強まってきたことなのかとも考えられるのですが監督ご自身はどのようにお考えでしょうか?
青山:先ほどお答えしたように僕は他の人のことは解らないので、5年後10年後に何かが解ると思います。僕は僕の映画を作っている。この面子で一本の映画を作っている。毎年何かを作ろうとしている。それだけです。
プレス:映画の伝統についてお尋ねします。青山監督ご自身は小津安二郎、今村昌平、黒澤明の何れの伝統の流れの中に作品を作っているとお考えですか?日本映画の遺産を得て映画を作っているとお考えですか?
青山:今回の映画に関して言うとなぜスタンダードサイズを選んだかと云う理由がそこにあるかも知れません。というのは、映画の後半に古い30年代か40年代くらいの日本家屋が出てきますが、この日本家屋を撮影するにはスタンダードで40ミリというレンズを使って撮影するのが最もふさわしい。これは小津安二郎が発見した方法です。このためにスタンダードを選んだ訳です。それはひとつの日本映画の伝統的なスタイルだと僕は思います。去年ここに出品させていただいた『ユリイカ』という映画はジョン・フォードの伝統に基づいていたかもしれません。なおかつ今年の『月の砂漠』は小津安二郎の伝統に基づいていたかもしれない。これらを同じように僕は考えています。
プレス:仙頭さんに質問です。今までお作りになっている映画は優れた作品であるにもかかわらず必ずしもボックスオフィスでヒットしていないと思うのですが、あなたはこの日本の不況期の最中にまだ映画を作り続けていらっしゃいます。資金の調達は一体どうしているのでしょうか?それとこの映画のコストはいくらでしょうか?
仙頭:まず最初に僕は映画の製作費は一切公表しておりません。企業秘密と言うことです。そしてですね、あまり儲かっていないというお尋ねですが(笑)
通訳:資金調達はどうされてるのですかと言うことですね。
仙頭:いや、銀行から借りたり出資者がいたりと普通に集まっています(笑)。たぶん映画というのは今ヒットすればそれで良いのだというものではなくて長い歴史の中に残してゆくものだという信念が私にはあって、その信念を銀行家なり出資者の方に言うと皆様納得してくださる。今ではなくて未来のために過去に対する尊敬を込めて映画を作り続けるのだ、その中で新しいものを作ろうという段階に今の日本はあるのだと思います。というか現状はそのとおりだと思います。今ボックスオフィスを当てるということよりも、これからもう一度形を作り直すために必要なことをやっているのだと考えています。
プレス:是非私の銀行家にもお話ししてもらいたい!(笑)
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